現実の扉を開く美少女に遭いたい

だれかわたしの心にそなわった窓をひらいてくれないだろうか。
一言でいえばこういうことだ。

現実を揺るがす存在

現実を揺るがすような存在を一目見たい。
これがわたしの原動力の1つであった。
世界を巻き込んでマゾヒズムに浸ろうとしているのだから、とんでもない。

現実

わたしにとって「現実」とはどういう意味の単語なのか、それだけでももう1本記事を使って説明したいくらいなのだが、大きく分ければ、わたしにとっての現実は、網膜の外から網膜の内を通してわたしに知覚され、認識される。
もっとも好ましいのは、網膜の外と網膜の内を両方書き換えるような存在だ。

すなわち、

  • その存在自体が、世界で発生しうる事柄に対して人類のこれまで発見したいかなる解釈をも超越する者
  • (少なくとも)わたしの世界に対する認識を不可逆的に変革する者

ということを意味する。
この2つの条件を満たす存在が目の前に現れると、わたしの認識や知覚の形態は永久に彼女を枠組みに収めるように変形して戻らない。
そしていずれ、わたしはこの世界にあるいかなる知識を動員してもついには彼女に辿り着くことはないことを知って、ひとたびは打ちひしがれてしまうことになる。

ここで科学の出番だ。
彼女がこの世界で発生している現象である以上、何らかの原理に基づいて存在しているはずだ。
彼女がもたらしてくれた鍵に基づいて、人類は現実に対してより進歩した理解をすることができる。
Dr.STONE』における石化装置、『メッセージ』におけるヘプタポッド、『シン・ウルトラマン』におけるウルトラマン(リピアー/神永新二)。
まだこのような存在を少女で書いてくれた作品に巡り合えていないのが非常に残念でならない。

風斬氷華(ヒューズ・カザキリ)は、きわめてこれに近い存在であった。
「科学天使」は、しかし、作中でよく知られた物理法則であるAIM拡散力場と、作中でよく知られた魔術的体系の組み合わせで説明が可能であることが示されている。その2つが融合されて新たな現象が発生するというわけではなく、お互いがお互いの体系を自分とは独立した一部として利用して解釈可能なものにすぎない。
いわば、量子力学固体物理の賜物である電子回路を搭載したGPS衛星からの電波に一般相対性理論による補正を計算に入れるGPSシステムのようなものだ。お互いの体系は独立したドメインで用いられている。GPS量子力学一般相対性理論の両方を用いているが、量子重力理論は関係がない。
わたしにとっては、『とある』の世界は、ある登場人物が世界の法則を体現している場合はその法則が具体的に書かれてくれず、具体的な世界の法則があると思えばそれはすでに解明された既知の事実となってしまっていて、あるいは世界の秘匿された法則があると思えばほとんどそれを象徴する存在が出てきてくれない。*1わたしはその中になにも新しいものを発見できないので、もどかしい。

ダウングレード

このような少女を含む作品はあまりにも存在しづらいので、わたしは妥協点を設けざるを得なかった。
だいたい、1番目の条件が厳しすぎるのがいけない。
そこで、1番目の条件を譲歩していく。
もともとの「その存在自体が、世界で発生しうる事柄に対して人類のこれまで発見したいかなる解釈をも超越する者」を1-0として、番号でランク付けしていく。1-Xは1-0に近いほど小さく、アルファベットは数字よりも細かい順序を示す。

  • 1-1a: 世界で発生しうる事柄に対して人類のこれまで発見したいかなる解釈にも勝る解釈を発見した者
  • 1-1b: 精神的環境で発生しうる事柄に対してそれに関係するひとびとがこれまで発見したいかなる解釈をも超越するものを作ることのできる者
  • 1-2: 世界で発生してしまった事柄に対して科学的な手法で探究することのできる者
  • 1-3: 世界で発生してしまった事柄に対して人類のこれまで発見したいかなる解釈とも異なる仮説を立てる者
  • 1-4: 世界で発生しうる事柄についてわたしよりも知識およびその理解・掌握に勝っている者

例えば、1-1aには『シメジシミュレーション』のしじまの姉、1-1bには『児玉まりあ文学集成』の児玉まりあさん、1-2には科学を取り扱う作品のたくさんのキャラクターたち、1-3には胡乱な少女、1-4には『数学ガール』のミルカさんなどの物知りキャラ、いわゆる天才キャラなどが含まれる。(もちろん、彼女の理解が真実の深層に向かうとあれば1-2、場合によっては1-1aに”昇格”することもある。1-1aは通常1-2、1-3、1-4を、1-1bは通常1-3を含み、場合により1-4を含むこともままある。)
1-1bには、少しだけ「ふたりの世界に関する世界的な事実」、つまり、『わたしたちって、こうなんじゃないかなあ』といった「発見」をもたらしてくれる人が含まれる。あるいは、お互いに対して『あなたはこうなんじゃないかなあ』という発見をもたらす人も含まれる。
発見というのは尊いもので、ある思考・認識フレームから、知性という翼をはためかせて別のそれへの飛翔を遂げる行為にほかならない。わたしは発見を愛する。
相互理解というものはある程度科学的な手法に似たところがあって、「相手」という現象に対して仮説を立てて、検証して、再度仮説を立て直すというプロセスを持っている。
1-4のさらに妥協点には、「一般的な人間」がいる。あらゆる他者を、わたし一人で作ることのできる現実を揺るがす存在として捉えることができる。
しかし、妥協は妥協なので、あまりやりたくはない。

美少女

わたしにとっての「かわいい」の形は、これもまた単独で記事が生えてしまう*2
その要点をまとめておくと、

  • 表象kawaii
    • 寒色・静・規定のイメージ
      • 髪色・服の色・目の色・服装コードなどに適用される
    • メガネをかけている
      • あるいは、そのほかの「知」・「(思考・認識の)フレーム」 の象徴を持つこと
  • 存在kawaii
    • 破綻していること
      • 重度の好奇心旺盛である/夢中になると手が付けられないこと・倫理観がないことなど
      • 胡乱であること(これは、先ほどの1-3にも関係する)
      • 何らかの形象であること

ということになる。
「形象」というのも、これはなおも記事が生えてしまうのだが、いわば高次元、あるいは形而上の空間がこの世界に落とす影のことで、ある存在が形象であるというのは、その存在を介してそのような空間の様子を伺い知ることができる、というものだ。
なにかの「象徴」が実態を持っているなら、わたしは、それは対応する概念の「形象」である、と呼んでいる。

そういった美少女の観念が、きゅうくつな物理法則に縛られた3次元の空間に制約され、しかしそれによって表出することができて実体を持って振る舞う様子は、奥深く、世界に対して示唆的で、手のひらで触れ合うことのできる奇跡を凝縮したような、きっと素晴らしく美しく、いじらしくもかわいらしい、そういった2つの魅力が同時に存在することのできる、人の形をしたよろこばしい現象なのだと思う。

*1:レベル6にさせられようとしていた御坂美琴もなかなか近かったが、「レベル5を超えた御坂美琴」が存在していた時間はあまりにも短すぎるので、これをわずかばかりでもキャラクターにおける独立した人格の状態と認識することは困難であると思われる。

*2:これに関しては実際に記事が生えているが、別名義ゆえあまり言う気にならないため、脚注に留める。文体も今とは違うし…。小倉しおんがものすごくかわいい - 補的足跡